田中所長と小川研究員が北海道の池沼のプランクトン採集の旅に出ました.
簡単に道中記などを報告します.
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2016年8月7日(日)15時.
昨日は,然別湖を出てから,支笏湖の南岸を西進しましたが,湖水に近づけず採集を断念し,西岸を北上してもう一つの目標であるオコタンベ湖に向かいました.ところがこちらは通行止のために近づくことができませんでした.オコタンベ湖に向かう道はあちこちが通行止になっていて,現在まったく近づくことができません.ということで,これらの湖での採集はあきらめて南下し,伊達氏の駅の道「伊達歴史の杜」で車中泊となりました.
今日はフェリーで大間へ渡る移動日です.フェリーは14時50分函館発で時間に余裕があったので,昭和新山を見て行くことにしました.小学校の頃の国語の教科書に壮瞥(そうべつ)町の郵便局長だった三松正夫(1888-1977)が昭和新山の形成の様子を裏の空き地に水平に張った糸(?)を基準にして記録を続けたという教材があり,それは何のための教材だったのかはもはや定かではありませんが,不思議なことにその挿絵だけが今でも鮮明に蘇ります.それで長い間,機会があれば一度眺めてみたいと思っていたわけですが,今日,偶然にもその機会に恵まれました.麓に「北の湖記念館」があり,その奥の部分が郷土資料館になっています.50年ほど前に教科書で見て記憶に残っている挿絵と同じ絵がパネルに描かれているのには何とも言えない懐かしさを覚えました.(あとで三松正夫の銅像と記念館があることを知りましたが,どちらにも気がづきませんでした.残念!).
三松正夫の日誌に,1944年(昭和19年)6月23日,(名前は忘れてしまいましたが)ある農民が畑を見回っていると唐松林と畑の間から三筋の白い蒸気が立ち上っているのに気づき,見ているとそこから噴火がはじまったため,その農民は転がり落ちるように麓を逃げてきた,というような記述があります.
昭和新山に強い愛着を持った三松はのちにその一帯の土地を購入しました.そのため昭和新山は三松家の私有地にある火山です.また三松は昭和新山の天然記念物への申請なども行い,1951年に天然記念物,1957年に特別天然記念物に登録されました.火山が「物」というのも驚きですが,敷地に火山があるというのはもっと驚きです.
今,フェリーで大間に渡っているところです.少し時間がありそうなので,下船後は「いたこの口寄せ」で有名な恐山の宇曽利(うそり)湖に採集に向かうことにしました.宇曽利湖はカルデラ湖で外輪山全体が恐山です.ちなみに「うそり」とはアイヌ語で「窪地」の意味だとウィキペディアにあります.(小川記)