田中所長と小川研究員が北海道の池沼のプランクトン採集の旅に出ました.
簡単に道中記などを報告します.(最終話)
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2016年8月9日(火)17時.
採集旅行のまとめ役はもちろん田中所長のほうが適任です.しかし田中先生は「パソコンは苦手だ」と豪語されているので,今回は門外漢の小川が書きます.
プランクトンの観察というと,小学生が理科の時間に近所の田んぼや校庭の向こう側のビオトープでプランクトンを採集する姿が思い浮かびます.専門家の採集と言っても,水辺では基本は同じ,せいぜい専用の(場合によっては特注の)プランクトン・ネットを投げ,その場でホルマリンやアルコールで固定するくらいです.しかし大きな違いもいくつかあります.
まず水際への接近です.水際まで簡単に歩いて行けるとは限りません.今回はせいぜいヨシやスゲを分け入れば水際に到達できる湖沼ばかりを選びました.昔は崖のようなところをロープを張って降りて行ったこともあったそうです.私としては今回もそのような危険なところを田中先生には降りて行っていただきたかったのですが,どうも「そのような所は卒業,若い者に任せる」ようです.
また,日が落ちて暗くなってしまい,車のヘッドライトで照らしながらということもあったそうです.もちろん翌日になれば明るくなりますが,少しで早く採集して次へ移動したいわけです.次回はぜひ夜を徹して採集をしていただきたいのですが,どうも「そのような日程は卒業,若い者に任せる」ようです.
今回は淡水の自然湖沼を主な採集地にしたので,移動距離は長くなりました.昔は鉄道,バス,徒歩で移動したのですから,その採集,研究への執念は大変なものです.古くは岡田喜一,また平野實といった先生は皆,そのようにして採集の旅をしました.田中先生はそのような世代の最後の一人ではないでしょうか.現在では車で移動をされていますが,昔のことを思い出すにつけ隔世の感を禁じえないことでしょう.いずれにせよ研究とは継続です.そして継続とは能力の一つです.
さて,未だ手つかずの自然のままの湖沼ももちろんありますが,その多くは次第に姿を変えています.自然的変化のほか,埋め立てられたり,湖岸が整備されたり,その変化はさまざまです.そのような変化を50年以上も眺めてこられた田中先生の自然に対する思いには,大半の仕事を室内でしているわたしには窺い知れぬものがあります.とくに小さいものから大きいものまで,すべての生き物に対する田中先生の愛情には強いものを感じます.田中先生は「珍しい種のプランクトンを採集したい」という小学校以来の動機を保持する一方,「すべての生物を慈しむ」という根本的精神を確固として持ち合わせているように感じます.分類学を専門とする研究者は現在少ないようですが,分類学あるいはもっと広く博物学は人の分類したいという基本的欲求を満足させつつ,人と自然との共存のための自然観の確立に有効です.田中先生が若い研究者の現れることを心待ちにされている根本はここにあるのではないでしょうか.わたしは今回の短い採集の旅で自然と人との関わりについて考えざるを得ませんでした.
追伸.北海道は曇天でうすら寒いと聞いていたので長袖,ウィンドブレーカー,レッグウォーマーなどを持って行きましたが,全く身につけることがありませんでした.そればかりか強い日差しに50年ぶりに日焼けをしてしまいました.その驚きは「霧の摩周湖で日焼け」したというくらいです.(小川記)